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2025/06/07 01:54 |
自転車の歴史
自転車の歴史、特に黎明期の記録については現在もヨーロッパ各国を中心に資料の発掘と検証が続けられており、長らく定説とされてきたものを覆す研究も提示されている[注釈 1]。また二輪の自転車よりも三輪以上の自転車がより早く製作されていたと考えられている[注釈 2]。
◯安全型自転車の出現まで
自転車の祖先に当たる乗り物、またその着想についてはこれまでもさまざまな説が浮上しては否定されてきた。現在ではドライジーネ (Draisine) が、実際に製作されたことが確認できる二輪自転車の祖先とされる。これは、1817年にドイツのカール・フォン・ドライスによって発明された木製の乗り物で、前輪の向きを変えることができるハンドルと、前後同じ直径の二つの車輪を備えている。クランクやペダル、チェーンといった駆動装置はなく、足で直接地面を蹴って走るものであった。この乗り物は間もなくデニス・ジョンソン (Denis Johnson) によってイギリスで改良され、ホビーホースなどと呼ばれた。
1861年にフランスでミショー型が発売された[注釈 3]。これは現在の小児用の三輪車と同じようにペダルを前輪に直接取り付けたものであった。ピエール・ミショーがオリビエ兄弟より出資を受けて製造販売を始めたもので、これは初めて工業製品として量産された自転車でもある。なお、ミショー型については、ミショーの元で雇用されていたピエール・ラルマンが「自分こそがペダル付き二輪車の発明者であり、ミショーにそのアイデアを盗用された」と主張し、1866年にアメリカにて特許を取得している。
1870年頃、英国のジェームズ・スターレーが、スピードを追求するために前輪を巨大化させたペニー・ファージング型自転車を発売し好評を博したため、多くのメーカーが追随。前輪は拡大を続け、直径が1.5メートルを超えるものも出現した。当時盛んに行われたレースなどスポーツ用に特化したもので、長距離のクロスカントリーライドまで行われた。しかし極端に重心位置が高いため安定性が悪く、乗車中は乗員の足がまったく地面に届かないことなどにより日常用としては運用が困難であり、転倒すれば高所より頭から落ちるような危険な乗り物であった。日本ではだるま車などと呼ばれた。
1879年に英国人ヘンリー・ジョン・ローソン (Harry John Lawson) により後輪をチェーンで駆動し、座席(サドル)の高さが低いため重心が低く、乗員の足が容易に地面に届く物が製作され、ビシクレット(Bicyclette…二つの小輪)と名付けられた。これが英語の Bicycle の元となった[注釈 4]。
1884年スターレー・アンド・サットン (Starley & Sutton)、ハンバー、マキャモン (McCammon)、BSAなどがビシクレットに改良を加えた自転車を発売する。
1885年にジェームズ・スターレーの甥ジョン・ケンプ・スターレーが「ローバー安全型自転車 (Rover Safety Bicycle)」の販売を開始する。側面から見て菱形のシルエットを持つダイヤモンド型のフレームを持ち、現在の自転車に近い姿になった。
1888年にジョン・ボイド・ダンロップが空気入りタイヤを実用化。その後フリーホイール機構が普及し、自転車の基本がほぼ完成された。
◯本節の参考文献
・岸本孝『自転車の事典 : 走るクスリ?』文園社、2002年 ISBN 4-89336-177-5
・佐野裕二『自転車の文化史 : 市民権のない5,500万台』文一総合出版、1985年 ISBN 4-8299-1107-7
・自転車産業振興協会編『自転車の一世紀 : 日本自転車産業史』、1973年
・自転車産業振興協会編『自転車実用便覧 : 改訂版 』自転車産業振興協会、1971年
・自転車産業振興協会編『自転車実用便覧 : 第4版』自転車産業振興協会、1982年
・ドラゴスラフ アンドリッチ・ブランコ ガブリッチ『自転車の歴史 : 200年の歩み…誕生から未来車へ』ベースボール・マガジン社、1981年 ISBN 4-583-02929-2
・鳥山新一『すばらしい自転車』日本放送出版協会、1973年

参照:Wikipedia「自転車
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2014/04/13 21:36 | Comments(0) | 自転車

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