◯日本国外の状況
自転車利用は各国それぞれに固有の特徴がある。
ヨーロッパ諸国では自転車の利用が非常に盛んな国が多い。オランダは常に吹く強い風で、ドイツは市街地路面が石畳で、また路面が雪や氷で覆われることの多い国々で、一見悪条件の中で、自転車利用が促進されている。単に自転車に乗ることに優しい自然環境があるからではなく、交通政策や観光政策等、自転車を利用しようとする人々の努力がそこにあり、これにより交通手段としての自転車利用が促進される。
オランダ、デンマーク、スウェーデン、ドイツなど多くの国で自転車交通教育の推進によって自転車交通が促進されている。通行規則は自動車やバスなど同じ道路を走る他の車両の規則と一体として整備され、全ての車両の運転者に等しく、車道での安全走行が、規則として徹底される。自転車または二輪車のための専用レーン整備が進められる一方で、それがない場合でも、自転車が車道を走行する車両交通規則として実施されている。
オランダやデンマークでは通勤利用者に対する購入時の金銭的補助がある。スイスでは山岳地帯であるにもかかわらず、自転車観光ルートを充実させ、ルートガイドを徹底することにより、自転車による観光が推進されている。ドイツ、オランダ、サンフランシスコなど、鉄道車両などの公共交通機関に折りたたみや分解などをすることなくそのままの状態で自転車を持ち込むことができる場所も多い。これにより自転車で最終目的地に到達できる可能性が増す。
近年、共有自転車(コミュニティサイクル、バイシクルシェアリング)を都市内で大規模に導入する動きもみられ、パリのヴェリブはその中でも代表例で、利用者・台数が多い[要出典]。
欧州諸国では、1990年代以降自転車が環境や健康にもたらす効果を重視し、自転車を都市交通の重要な担い手と位置づけている。
北米(アメリカ合衆国・カナダ)は典型的な車社会でニューヨーク・サンフランシスコなどの一部の都市を除きレジャー・スポーツでの自転車利用が中心である。土地に余裕があるので都市部には自転車レーンが設けられている道路が多く、趣味としてのサイクリングが広く楽しまれている。
南アメリカのコロンビアの首都ボゴタは、市長提唱による自転車交通推進によって短期間に欧州的な自転車都市となった。長年毎週日曜日には中心の7番街でシクロ・ビア(自転車天国)と呼ばれる自転車中心に歩行者やローラースケーターたちへの道路の開放が行われてきたが、1990年代後半以降は地域を拡大し、さらに大規模に行われるようになった[3]。
中華人民共和国では1990年代に自転車交通の混沌がいわれていたが、2000年代になると車道における自転車レーン整備が促進されるようになった。[要出典](電動アシストではない)電動自転車が自転車としての位置づけでかなり普及し活況を呈している。
インドでも自転車は多く利用されている。インドは自転車生産でも世界有数の国となっている。
◯日本の状況
日本の自転車普及率は世界的に見ても高い。保有台数は8655万台で、人口1.5人あたり1台にのぼる(2005年)。これは西欧で特に自転車利用が多いオランダ(人口0.9人当たり1台)、ドイツ(同1.2人)、に次いでベルギー(同1.9人)と同等の水準であり、アメリカ、中国、イギリス、フランス、イタリアといった国々を上回る[4]
前掲した普及率の高い西欧諸国が自動車やバスと同等の車両という認識であるのに対し、日本においては歩道を通行し限られた短距離の移動に利用する歩行者の延長線上のものという認識が一般にはなされている(当然ながら法律上は車両と定義されている)。都市部では公共交通機関が発達している一方、自動車交通中心の交通政策が貫かれ自転車が交通手段として明確に位置づけられていないなど日本独特の環境によるものではあるが、車両という認識の欠如により無謀運転や交通違反、深刻な事故などが社会問題となり、2000年代中ごろから法令改正や取締り強化、啓発などが行われている。
◯自転車と職業
自転車を使う職業の代表は郵便配達だが、英国では1880年に自転車による郵便配達が始められ、現在でも約3万7000人の配達員が自転車を利用している。自転車便など、都市部における輸送手段として利用されることもある。新聞配達や出前などといった職業上の利用もある。
英国の警察は1896年から自転車によるパトロールを始めた。日本の警察は自動車とオートバイによるパトロールに切り替えているが、交通渋滞の激しい都心部では自転車の機動性を鑑みてあえて自転車によるパトロールを行っている場合もある。国によっては交通渋滞の多い都市で自転車パトロールを復活させるところもある(アメリカではニューヨーク、ロサンゼルス、サンフランシスコの各市警に「バイシクルユニット」という専従のチームがあり、「POLICE」のマーキングを入れた警察専用のMTBも製造されている。このフレームは当然、公用であり国内では市販されない)。
◯自転車と軍隊
自転車に乗った兵は、純粋な歩兵に比べて移動速度に優れる。騎兵や自動車に比べれば遅いが、自転車自体のコストは車や馬よりも安く付き、さらに水や飼料、燃料を必要としないという利点がある。さらに、兵への訓練も遥かに簡単である。このため、自転車は多くの軍で利用されることとなった。
自転車が戦争に利用されたのはボーア戦争が始まりで、英軍・ボーア軍ともに斥候に自転車を使った。第一次世界大戦ではドイツ軍、フランス軍が兵の移動に自転車を利用した。第二次世界大戦ではイギリス陸軍空挺部隊が輸送機内でかさばらない折り畳み自転車を使用していた。大日本帝国陸軍は日中戦争で5万人の自転車歩兵を動員。マレー半島攻略作戦など南方作戦の働きから「銀輪部隊」と呼ばれるようになった。スイス陸軍では1891年から2001年にわたって自転車部隊を存続させた。
しかし、自転車は徒歩に比べれば楽ではあるが、移動に兵士の体力を消耗することに代わりはない。また、自転車に乗った状態はバランスが不安定で、側面が完全に露出しているため、攻撃に非常に脆いという欠点があった。そのため、自動車の普及が進み、大量の燃料も供給できるようになった現在では、自転車を戦闘部隊に配備する軍は限られるようになっている。
現在では北朝鮮当局が自転車部隊の存在を明らかにしており[5]韓国陸軍も38度線の休戦ラインの監視部隊が徒歩より機動性があり、エンジン音がしないため接近に気づかれにくいMTBをパトロールに使用している。日本では航空自衛隊航空救難団が救難活動現場で使用するために民生用折り畳み自転車を保有している。
◯スポーツとしての自転車
・競技
競走に使用できる乗り物が発明されるとそれによる競技が行われるようになるが、自転車もさまざまな形態の競技が実施されている。また各競技に最適化される形で自転車の構造も細分化されてきている。
・競技でないもの
一般人が公道を時間を競わず制限時間内に完走することを目指すブルベ、センチュリーライドなどのサイクリングイベントも、数多く開催されている。
◯自転車と観光
自転車を用いて短いコースをゆっくり探索するポタリングは観光地において人気がある。数十キロ、数百キロといった都市間、さらに国から国へと移動する長距離の自転車旅行も行われている。自力での移動だけではなく、サイクルトレインや輪行など、公共交通機関に自転車を持ち込んで長距離移動することも行われる。また、観光地や都市においては駅前やバスターミナルなどの交通拠点近く、または街中にレンタサイクルショップが存在するところも多く、自家用車や公共交通機関でやってきた観光客が自転車を借りて付近を観光し散策することも広く行われている。
参照:Wikipedia「自転車」
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◯エネルギー効率
自転車による移動は生物と機械の両方の中で、その移動に要するエネルギーの量に関して突出して効率的であり、人間がある距離をある速度で移動するのに必要なエネルギーの量で比べると自転車は徒歩の5分の1に過ぎないという定説がある[21]。1950年代の中期に、現在の「財団法人自転車産業振興協会自転車技術研究所」の前身にあたる「自転車生産技術開放研究室」がまとめた研究により、この数値はおおむね正しいことが確認された。この際には、被験者の呼気に含まれる二酸化炭素の量から消費カロリーを推算する手法が用いられた。ただし、これは平坦な舗装道路を前提とするという自転車にとって有利な条件での比較である。
こうした数値を基に、一般的な自転車で1kgの物体(車体を含む)を1km移動させるのに必要なカロリーは、おおよそ自動車の6分の1、ジャンボジェット機の4分の1程度しか必要ないとの試算もある[22]。
◯速度記録
平地単独走行で全風圧を受けての最高到達速度記録はカナダのサム・ウィッティンガムが2008年にカウリング(風防)をつけたストリームライナーで達成した時速82.3マイル(時速132.5キロメートル)で、自身が保持していた時速81.02マイル(時速130.4キロメートル)の世界記録を6年ぶりに更新した。これはヒト一人のみの出力よる最高速度記録でもある。
標高差による位置エネルギーを利用した斜面降坂では2007年8月にオーストリアのマルクス・シュテッケル(Markus Stockl)がマウンテンバイクで達成した210km/hが記録されている。
平地での最高速度記録は1995年10月3日にオランダのフレート・ロンペルベルフ(Fred Rompelberg)が記録した268km/hである。これは、前走する遮風板を付けた車の背後でスリップストリームに入り走行することで達成された。この種の挑戦は19世紀後期以来、幾度も記録更新が繰り返されてきた伝統的なものである。初期の例として、1899年にアメリカのチャールズ・ミンソーン・マーフィーによるMile-a-Minute Murphyが知られる。
参照:Wikipedia「自転車」
参照:Wikipedia「自転車」
世界各国に自転車メーカーが存在し、多くの自転車が製造されている。2011年には、世界の自転車市場の規模は610億ドルにのぼった[6]。2009年には全世界で一年に1億3000万台の自転車が販売され、そのうちの66%が中国で製造された[7]。
自転車の製造は、自転車のフレーム自体やボールベアリング、ワッシャー、スプロケットなどの特別な部品の両方に高度な技術を必要とするため、金属加工技術の進歩を促し、他の高度な産業にも影響を与えた。これらの製造を通じて熟練した金属加工技術を身につけた労働者は、初期の自動車や飛行機の開発に大きな役割を果たした。また、自転車製造業は機械化や大量生産[8](のちにフォードやゼネラル・モーターズも採用した)、垂直統合[9](のちにフォードも採用した)、積極的な広告[10](1898年の米国の雑誌のすべての広告のうち10%は自転車メーカーが占めていた)[11]、道路改善のためのロビイング[12](などいくつもの産業モデルを開発し、他の産業に伝授する役割を果たした。また、自転車産業は年間のモデルチェンジを初めて採用し[13][14]、この方式はゼネラル・モーターズにも受け継がれ、大成功をおさめた[15]。
初期の自転車は、ファッショナブルなエリートによって財力を誇示するために消費されるもののひとつであった[16]。そのため、バービー人形のように自転車それ自体よりもそれにつけるためのアクセサリー的なものの消費が多くなることがあった[17]。
自転車の普及によって自転車メッセンジャー[18]、自転車教室などの新たな職業が生まれ、また自転車レースも開催されるようになった。自転車レースの形態はのちにオートバイレースや自動車レースへとつながっていった[19]。
初期の自動車や飛行機の開発者には自転車によって機械製造の基礎を身に着けたものが多く、飛行機を発明したライト兄弟もオハイオ州デイトンの自転車屋であった[20]。いくつかの自動車メーカーは自転車メーカーから成長してきたものである。イギリスのローバーは1878年にStarley & Sutton Co. of Coventryとして創業したときは自転車メーカーであり、1901年に自動車の製造を開始した。同じくイギリスのモーリスも1910年の創業時は自転車メーカーであり、1913年に自動車メーカーとなった。チェコのシュコダもオーストリア=ハンガリー帝国時代の1895年にラウリン&クレメント社として創業したときは自転車メーカーで、自動車業進出は1901年のことであった。また、日本の本田技研工業は自転車メーカーではなかったが、自転車に搭載するモペッド用の補助エンジン制作からスタートして世界有数の自動車メーカーとなった企業である。
参照:Wikipedia「自転車」
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